道半ば 熊本地震 きょう2年

 最大震度7の激震が2度襲った熊本地震から丸2年経ちました。

※ 過去のことをよく忘れる自分の中では、熊本にいながらあの地震が遠く感じられます。あの恐ろしい経験は思い出すたびに二度としたくないと思いますが、自分の中で記憶が風化しかかっているようにも思います。これが他県にいらっしゃる方ならなおさらのこと。熊本地震のことなんてもうとっくに過去のこと、忘却の彼方にあったとしても責められません。
 でも、自宅にも未修復箇所がありますし、周囲にも地震の痕跡が多数残っていますし、私にも自宅再建を控えている知り合いがいます。ここはカメのブログですが、自戒の意味も込めて、地震の痕跡を載せたいと思います。




 宅近くの公共施設では、いまだに修理されずに爪痕が残っています。
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 日雨模様の熊本城。天守閣再建中。
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 以下、野焼き支援ボランティアで阿蘇に行った帰りに撮影してきたもの。昨日撮ってきたばかりです。

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 地震によって起きた大規模な山崩れ跡(長さ約700m、幅約200m)。
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 この山崩れの先にあった「阿蘇大橋」は、断層が動き、地盤がずれたことで崩落しました。



 その下流にあった長陽大橋は、橋が崩落することは無かったものの、橋台や取りつく道路が大被害を受け、地震から一年四ヶ月後の昨年8月にやっと復旧。それまで阿蘇に行くには大きく迂回させられていました。渋滞もひどかったです。イライラさせられました。

 そういえば、「渋滞に並ぶあなたも被災者」という標語が、別の迂回路に設置されてましたね。

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 崩落した阿蘇大橋、元の場所に架けることは不可能で、600m下流に架け直し工事の真っ最中。
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 長陽大橋の真下、白川と黒川の合流点。ここでも崩落が見えます。
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 南阿蘇鉄道の第一白川橋梁。水面からの高さと景観で観光名所となっていましたが、架け替えが必要か。
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 立野地区の山の斜面。
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 仮住まいは今も3万8000人。生活再建、インフラ復旧 道半ばです。

回顧 ー 平凡な日常の幸せ

 思い返せば一年前の2016年4月14日、その日から二晩続けて、友人から依頼された初対面の外国人夫婦が我が家に泊まることになっていました。




 彼らが我が家で過ごす一泊目の晩、午後9時過ぎ、そう、それは突然起こりました。

 熊本地震です。かつては本震と呼ばれ、のちに前震と名前の変わったそれです。

 我が家には、120cm水槽がリビングに置いてあります。熊本地震の最初の大揺れで、満杯に入っていたその水があふれ出し、リビングは洪水になってしまいました。彼らの休む部屋にまで一部水が浸入。洪水の後始末や地震で散乱した物の後片づけなどを、客人に手伝ってもらうことになるとは。

 その後も大きな余震が繰り返し起き、彼らも私たちも十分眠ることができませんでした。彼らが熊本で過ごす最初の晩に未曽有の大地震が起きるなんて。




 翌朝、客人たちはテレビのニュースで、前日まで堂々たる姿を見せていた熊本城が壊れている様子を見て、非常に驚いていました。一日目に熊本城観光を楽しんでいたのです。※でもこの時は今ほど壊れていませんでした。

 この大地震のせいで、新幹線は脱線し、全面運休。在来線も点検のため全面運休。しかし在来線だけは、明朝からは通常運行に戻るということだったので、それを利用して、彼らの次の滞在地・福岡まで移動できればいいと考えていました。




 しかし彼らにとっての二泊目、2016年4月16日の未明、それは突然起きました。

 熊本地震の本震です。


 最初にズドンと上に突き上げる衝撃、その後は激しい横揺れ。私は動けなくなっている妻を身を隠せる陰に引っ張りこみます。マジで家が倒壊するかもしれないと思いました。停電が発生し、辺りは真っ暗闇になりました。私たちが休んでいた部屋は本や書類、置物などが散乱し、足の踏み場もない状況と化してしまいました。真っ暗闇の中で、行く手を阻む転倒した家具。部屋をすぐに出ることさえできません。物をかき分け、やっとのことで部屋のドアまでたどり着くと、客人たちも血相を変えて部屋から出てきました。断続的に強弱をつけて続く揺れ。懐中電灯の明かりを頼りに、まずは彼らを安全だと言われるトイレに有無を言わせず押しこめました。もう次から次に襲ってくる地震波。これは外に出た方が良いと判断し、弱まったすきを見て、彼らを我が家の駐車場に連れ出しました。我ながらかなり冷静でした。


 真夜中なのに、外には近所の方々も次々と出てきていました。急いで避難する人々も。外に出てからも地震は何度も何度もやってきます。やがて電気が戻ってきました。


 停電から回復したのち、強い余震に警戒しながら家の中に戻ってみると、あらゆるものが倒れたり飛び出したりして部屋の中はぐちゃぐちゃ。短い間隔で繰り返し襲ってくる余震。時には本震より少し弱いだけの余震もやってきます。これは家の中で過ごすのは危ないと考えました。


 真夜中なのにどんどん赤みを増す夜空。火事なのか街の灯りなのかよく分かりません。


 結局、客人と私たち家族は車の中で一夜を過ごすことになりました。たまたま旅行で熊本に来て、一度ならぬ二度も激震に見舞われ、恐怖におびえ、車中泊をすることになるとは、彼らはきっと予想だにしなかったことでしょう。もちろん私たちも、いえ、だれもこんなことになるとは予想できなかったに違いありません。
 この晩、近所の方々も、駐車場のそれぞれの車の中で、眠れぬ夜を過ごしました。こんな経験は生涯で初めてです。
 たびたび来る余震で、車ごとひどく揺れます。激しい余震が来るたびによみがえる最初の恐怖。



 この状況では、朝から動く予定だった在来線さえ動かなくなるでしょう。どうやって彼らを福岡に移動させるか。これ以上客人に震災の苦しみを味わわせてはいけないと思い、夜中の3時過ぎに隣りの福岡県に住む弟にメールを送りました。「起きてる?」と。前震の際そこもひどい揺れだったと聞いていたからです。今回もたぶんひどく揺れているはず。
 弟は起きていました。前震のすぐ後に、自分にできることがあれば飛んで行くよ、と何度も連絡してきていた弟は確かに起きていました。電話をすぐに掛け、こちらの事情と私たちが考えた作戦を話すと、彼は快く受け入れてくれました。

 電気は来ているのですが、断水が発生しました。この後断水は1週間続くことになります。これが結構大変でした。飲料水をもらうのに長蛇の列。でも、そんな時役立ったのが、私が数年前に自力で掘った打ち抜き井戸。地震後に濁りがひどくなり、砂もたくさん上がってくるようになりましたが、トイレを流すのには問題ありませんでした。これもなかったらトイレも流せません

 ほとんど眠れていないはずなのに、震災後の後片付けを一生懸命手伝ってくれる客人たち。突然降りかかった災難に何の不満も言わず黙々とやってくれます。私たちはいつでも逃げられる服装で過ごします。

 台所がぐちゃぐちゃで使えないので、被害の少なかった仕事場で朝食を食べます。ホットプレートで調理。ウインナーや目玉焼き、前日商品の少なくなったお店でやっと買えたナンを焼いて食べます。

 仕事場の掛け時計を見ると、それは止まっていました。しかもよく見ると、未明の1時25分。そう、それは本震がちょうど発生した時間。原爆投下時に止まったままの時計を思い出しました。あの大きな揺れで乾電池の1個が外れてしまったためでした。

 食事をしながら、彼らに今日の計画を説明します。この熊本の地から福岡へ脱出する方法を。




 お昼頃、待ちに待った弟が我が家にやってきました。彼はあの未明の電話のあとすぐ、24時間営業の店に行って、パンと飲料水をできるだけ多く買ったようです。隣県であるにもかかわらず、すでに弟の住む都市でもパンや水がどんどん減っている状況だったようです。

 彼はこれから必要となるであろう物資をわざわざ運んでくれたのです。しかも通常は1時間半ほどで行ける道のりを、渋滞の中3時間半もかけて。私たちにとっての最初の‟救援隊”でした。

 そして彼は休む間もなく戻っていきます。今度はアメリカ人を二人乗せて。彼のもう一つの任務は、この客人たちを福岡に送り届ける中継をすること。弟は自分の住む市まで彼らを乗せていきます。そこに福岡市内のホストファミリーが迎えに来るのです。

 別れ際に、くしくも同じ震災を経験する羽目になった客人たちと記念撮影をしました。私たちは強くハグし合いました。彼らにとっては、熊本には地震に遭いにきたようなものです。弟の無私の働きで、二重の目的を持つミッションは無事成功しました。

 2016年2月16日の出来事。



 そして、2017年4月16日

自宅で晩酌をしながらゆったり過ごせる。
電気がついて、蛇口からは当たり前に水が出る。
ガスで風呂も沸かせる。
トイレも気を遣わず自由に使える。
体を伸ばして眠りにつける。
家族の笑顔がある。
 
なんのことはない日常に幸せを感じます。

熊本地震からちょうど一年 - 熊本城の今

 今日で熊本地震から一年が経ちます。


 今週半ばサクラを見に熊本城界隈に行ってきました。

 熊本県伝統工芸館から見た天守閣。工事が始まっていました。
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 クレーンで吊り上げられた鉄骨が、
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 熊本城を貫きます。
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 崩れた石垣の上でサクラが満開。風が吹くと花びらが舞って桜吹雪。奥に見えるのは戌亥櫓(いぬいやぐら)。
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 監物台樹木園前。
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 戌亥櫓(いぬいやぐら)から天守閣方面を望む。
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 この櫓はもうひとつの‟一本足”の櫓です。隅石に支えられています。
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 天守閣の再建に3年
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 完全復旧は20年後。 
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 立ち入り禁止の桜並木の下は、ピンク色の道ができていました。
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 熊本城の再建はこれから長い年数がかかりますが、一般の家の再建や修理も全然終わりが見えません。まだ真新しい小さな小さな仮設住宅を見ると複雑な気持ちになります。

 3月31日時点で2万206世帯4万7725人が県内外の仮設住宅や公営住宅で“仮住まい”を強いられている。約1万4千棟の被災住宅の解体が残っており、自宅再建のめどが立たない被災者も多い。インフラ面でも開通が見通せない幹線道路や鉄路があり、復興への課題は山積している。 (強調はblog主)
(4/14 熊日新聞より引用)


 我が家の周囲の被害を受けたお宅では、やっと一年経って修理の順番が回ってきたようで、近々相次いで工事が始まります。それでもいまだに修理もなされず、屋根がブルーシートで覆われたままの家も少なくありません。


 気象庁は14日、昨年4月14日の熊本地震前震から今年4月13日までの1年間に震度1以上を記録する地震が、4296回に達したと発表した。2015年に全国で観測された地震(1842回)の2倍以上で、気象庁は「熊本地震の活発さが、あらためて分かる」としている。
 気象庁が、熊本地震の震源域で起きた地震回数をまとめた。本震のあった昨年4月16日は、1日で震度5弱~7の地震だけで11回、震度1以上は1223回を記録。この日をピークに地震は次第に減り、震度4以上は今年1月11日を最後に起きていない。 (強調はblog主)
(同上)



 そして最近小さな地震がまた起きています。震度2が多いですが、9日の震度3は、遠くから地震が近づいてくるのが分かり、思わず身構え、久しぶりに恐怖を感じました。



 熊本は1年経ってこんな感じ。

震災後、本棚の整理を始める

 まだ時折震度4とか3の余震が襲ってきます。報道によると震度1以上の余震が900回を超えたそうです。このペースですと1000回超えるのは確実ではないでしょうか。
 それでも以前と比べると随分減ってきたので、ついに我が家の復興(後片付け)を本格的に始めました。

 大地震で床が見えないほどになった書斎はなんとか足の踏み場ができ、クリーパーをきれいに並べてみました。
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 全巻持っています。カメの飼育を続けていく限り、この雑誌だけは手放さないでしょう。

 初期の号のいくつかはビニールに入ったままの新品です。読書用も持っていたのですが、今はこのビニール入りだけ。
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 アメハコ特集号(14,15号)だけは、読書用とビニール入りの保管用を両方持っています。

 この雑誌、中身が濃いので好きです。今後もぜひずっと発行を続けて欲しいものです。





平成28年熊本地震から一週間余が経ち

 ついに水が出ました。蛇口から流れる水、今まで日常の平凡だったこの光景に感動しました。

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 一階は三日ほど前にちょろちょろ水道が出始めましたが、二階は昨日の晩から少し出始めました。これでやっと水替えができます。




 屋外池で、底から息継ぎのために上がってくるとても小さなカメを見つけました。ここに入れている仔ガメはいないはずですが。
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 なんとカブトニオイガメでした。たぶんどこかに産みつけられていた卵が自然に孵って、池を泳いでいたものと思われます。

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 甲羅がまだ伸びきっていない感じがするので、春になるまで卵の中でじっとしていた幼体でしょうか。

 ほかにいないか探しましたが、今のところこの仔だけ。



 震災のなか、ホッとする出来事でした。


Razor-backed musk turtle (Sternotherus carinatus)